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私達の不動産投資体験記

The account of real estate investment experience

 

 

title 私の不動産体験記

written by IM

この話は、同勤の先輩と、お茶を飲みながらの、話から、はじまった。偶然の連続で「本当かいな」と言いたく、なるような話である。

事の初めは「高校卒業」(昭和二十五年)就職決定直後、交通事故に遭遇し、あげくの果て「内定就職取りやめの」みじめさになった。それから「事情」あり「親子の縁」も切れて、しまった。今度は再就職さがしである。
六ヶ月程、療養してのこと。社会の摂理か、捨てる神あれば、拾う、神ありで「高校商業課卒業」が役に立ち「税務会計事務所」の募集に、応募、一発命中、合格だった。当時の、この職業は数がすくなく花形だった。明日からの出勤に、男一人暮の身、準備におおわらはだった。仕事は厳しいけれど、自分で、きめたのだから、頑張らにゃならぬ。

一番参考になるのは、関与先(経理の仕事を請け負い、株主や諸役所へその結果を、本人の代理説明である)、関与先の社長などに、慣れると(よくも20才代の我々を、信頼してくれたものだなと、心から相手方に感謝していた)仕事以外の、話も出て、たのもしい。その時ふと、何時も思っていた、不動産賃貸(アパート等)の事が、「脳裏」をかすめたが、又次の機会(一ヶ月に一回訪問していた)にしようと、考へを留めた。 
同勤者(3才先輩)がいて、何かにつけて相性がよく、たびたび飲みにも行く、間柄だったし、自分が腹に「アパート」の件あるので、自然に、「何か、アルバイト、出来ないかな、例へば「アパート」みたいにとか」私が、「間合せの様に話してみた」。
そしたら、「私も思ってる事なんだよ」と先輩の話、「全く同じだね、少し改めて相談しよう」で、飲み直しで、後日相談とした。実行する事に決定、 その関与先の社長が空地が、少々(二十五坪)程の買手を探しているとの情報を得た。

今度の「大難題」資金繰の問題である。
最初から、持分1/2と決めていたから、応分の負担も見当がついていた。「手持資金少々」不足分、銀行ローンないかと思い関与先の社長に話してみたら、その必要資金から見たら、取得土地を担保に、入れたら、OKだと、銀行側の考えを、関与先社長が、我々に知らせてくれた。

(なぜこんなに、関与先の社長、我々に「力」を貸してくれるのかなと、考えてみたら、3年前に税務署の申告の調査に、偶然ともいえる成功があった事の返しかなと思う。銀行紹介等一連のお礼をした時、関与先社長、思はず、その「言葉」出て、あの時の「お礼だよ」との社長の言葉だった。)
これで資金繰完了し、大祝杯だった。社長の口添え、だったのだろう、我々一回でOKだったのは、非常に、めずらしい、出来事だったと、先輩と、ことある毎に話題になる。今度は「学生アパートか、社会人向か」で迷ったが「結局」「学生アパートに風呂つき、勝手口、共同トイレ(十軒の為二ヶ所)、とした。現在ほど「アパート」なかったので、建築中に満杯になって、やれやれ一息だった。

四、五年は、修理いらずに過ぎた。仕事とは建物回りの、草むしり等々だった、これも一切不動産商会にまかせても、よいが、少しでも早く「借入金」減少の為、節約したものだった。少しでも早く「銀行借入金減少させたいのは二人揃って、「小心者」なのかも知れぬ、と思いつつ。この件完了したら、「二の矢」「三の矢」が、心の奥にあったからだ。

 13年も経過後に、先輩から、思もよらぬ話、先づ「スマン」「スマン」の声しきり、何事だろうと、聞いてみると、先輩は「家族もち」で、奥さんが熱心な教育家で、教育費の為にこの不動産投資を、中座したいとの申し出。
よわったぞ。自分は「一人暮し」だから、全々思はなかったが、先輩に言われて、なるほどと考えた。全々「廃止」するか、先輩分の、土地を、無理矢理取得し、継続するかの、別れ道、弱ったぞと、真剣「熟思」の末、生保会社に「泣きつき」少しの「加入保険に」生保会社の要望通りの「生保追加」泣く泣くして、先輩持分の「土地建物」を取得したが、「つくづく、「えらい事になったわい」を一人で何回も繰り替す。

後から考えると少しでも「現在勤務中の職場の退職金」の方法もあったなと、或る人から教わった。それは、後日「万一」の為にと、心に修めた。頭を切り替えて「日本全体」から見れば、日本は「土地」は「絶対的」に、不足なんだから、「土地保有」に限る(バブル倒壊前)と私の一貫した考えである。もしも、それが、見込み違いで、土地下落するも、その時こそ不動産業界は「政府等」へ献金し、しかるべき「土地保有」に「有利」な方法え変換に、違いなしが、見えているから、自信ありだ。出来る事なら、「1F」は「不動産事務所に、したいなあと「取らぬ狸の皮、さんよう」との「洒落気」も、少々ありだ。

とは言え、少し減少した借入金が、思わぬ土地建物(先輩分)の取得で増加したし、安心ならぬ、しかしその「裏付は」あるのだから心配する事ない、自分に言い聞かす毎日だ。その為、一人暮しだから生活は酷い、朝食はパンと牛乳一本、中食は外食、夕食は「ゴハン」はしっかり、食べるが、副食は、ひどい、「ゴマシオ」「即席めん」等々、腹一杯を、めざす為のものである、これが「初老」過ぎの生活である。

 かかる時代、家賃の下げ要求あり、これには負けられないぞと、対面する私、その態度に、見込みなくし、見たか、学生達、すごすごと帰った。後から考えた、あれで、よかったかなと、ちょっと気になる。 しかし、その後、空室が、出来なかったから「良し」としようと、(一人判継)。新築後12年経過した。耐用年数は、今少しあると思うけど、周りが新築の建物で一変した、これはどうしよかと考へた。だんだんと「アパート」から「簡易マンション」に変りそれも、中古の人気、がた落ちになった。

関与先の「工務店」の社長来所し、自分の仕事の為だけじゃなく、周りの景観等から見て思い切って新築しないかね、見えぬ所等は、中古を、上手に利用に、「経理の面で、世話になっているし、「割安」で、新築同様に、仕上げますよと、度々、要請あり、事故にならない、今の内が「頃合」かなとも迷い、何分にも「一人暮し」の為、相談相手なく。

今度の「資金手当」も、大変だ。 一度、「試験的」に入居学生及その親母に「腹を割って」相談してみようと、思い立ち、「長野県」や「北海堂」等、遠方からで、恐縮だったが、集合願い、建替の一件を、私、「腹を割って」話し、皆様各々意見あるでしょうし、私三時間程外出しますから、充分、御検討下さいと、私、座を外した。
時間を、「みはからって」帰ると、皆「意見」一致の様子、親の曰く、よく見れば、周りが、一変し新しくなったし、子供達も、新しいのは良かろうから、建替賛成します、けど家賃は、どうなりますかの率直な意見、思い切って、一声で「一割」値上げたのみます。と、私の答、皆揃って合意してくれた安心。
これは、工務店との裏話だが、「入替りの学生さん」だから、五、六年で、立替する様な、新建材使用の、見るからに、良さそうな、建物に仕上げますの工務店の答。しかし、あまり、良くなかったら、受取りませんよと、冗談のやりとり。十一月ですから、新学期四月から入居出来る、ようにと確約。

今度の資金は、どうにか、毎日勤務している事務所の給与の、今迄の蓄積で、工務店に。無理を言って、収めてもらった。ここ迄来ると、以前の共有と違って、苦労も多いが、一面又「気楽な面」もあり、「成り行き任せ」の感あり。 言ひ忘れたが、建替を全員了承された事にうれしくて、こんな事もなければ、機会も、なかろうと思い、全員を、一席設け、接待した。
中には、学生さんの顔は、わかるが、親と、初対面の人々あり、世間話も含め、学生達の毎日の生活の事、時間を「じゅうぶん」、かけて、ゆっくり、一周り、飲食を進めた。出席者全員の話「こんな会は一年一回もあったら、お互い良いな」の声しきり。遠方(北海堂)から、集合の人も、賛成表明。これを縁に「又何かとよろしく」と、たのしく閉会だった。
自分の想うのは「一人暮し」で今は楽だが将来はと考へると、学生の親達は、大学生をもって、先が楽しみだなあと、「ため息」。飲めない酒を飲んで、寝た、気持ちよく。

二十年も経過すると、どことなく評判となりあの人、この人を、通じて又は、知人直接、それを始めた、「いきさつ」「やり方」等々の話を聞きに、こられる事あり、その都度、私は「こまかい話はしない」「おおまかに」
一、私は一人暮らしであったこと
二、相手方の立場で(すべての場合に)事を進めたこと
三、儲けようと、しないこと
四、世帯持ちなら、出来なかったでしょう
(例外は別にして「妻」(女)は邪魔になる(特に判継を要するとき))
「まだまだ」こまかい事は沢山あるが、何時でも、この様に話すことにしている 又、他に職業(会計事務所)に勤務していたこと、退職金の充当出来たことなど(完)

財部敦監修 フィクションであり、特定の個人名、団体名、地名等実在のものと一切関係ありません。

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